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「銅像の国」元大統領、屈辱パフォーマンス=日本の中曽根首相から経済協力を導きソウル五輪と韓国の高度成長を指揮した人物
韓国で1980年に“クァンジュ(光州)民主化運動(5・18民主化運動、光州事件)”が起こった当時、その前年末にクーデターによって軍部を掌握したチョン・ドゥファン(全斗煥)将軍による戒厳軍と光州市を中心とした民衆との間に衝突があった。その後、大統領になった全氏は日本の中曽根首相から経済協力を導き、ソウ...
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歴代総理の胆力「竹下登」(4)「退」で躓いてしまった慎重居士
 そうした竹下は、政権を取ると、「落とし所に落とす」形で、狙い通り消費税導入を成功させた。 一方で、外交は前任の中曽根康弘の方向性を踏襲、対米、対中関係とも、手堅さでこれをこなした。しかし、内政は、消費税導入のインパクトが大きかっただけに、「ふるさと創生」と銘打ったすべての地方自治体に好きに使えと配...
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歴代総理の胆力「竹下登」(3)「政界のおしん」の異名
 “苦節23年”ついに政権に就いた竹下登の政治手法は、強引さとはまったく無縁の辛抱に辛抱、周囲を説得に次ぐ説得で、ついには「落とす所に落とす」というものだった。「政界のおしん」「調整名人」との異名があったゆえんである。 それを実証してみせたのは、それまでの数代の政権が模索したものの、世論の反発から成...
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歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか?
「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。 竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖、佐藤栄作である。...
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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(2)退陣後に15年間議員の異例
 退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ、「院政」までは望まなくも、自らの政治生命は安泰という“秤...
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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ
 中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。...
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ソウル おしん

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