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もしかして


歴代総理の胆力「竹下登」(4)「退」で躓いてしまった慎重居士
 そうした竹下は、政権を取ると、「落とし所に落とす」形で、狙い通り消費税導入を成功させた。 一方で、外交は前任の中曽根康弘の方向性を踏襲、対米、対中関係とも、手堅さでこれをこなした。しかし、内政は、消費税導入のインパクトが大きかっただけに、「ふるさと創生」と銘打ったすべての地方自治体に好きに使えと配...
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歴代総理の胆力「竹下登」(3)「政界のおしん」の異名
 “苦節23年”ついに政権に就いた竹下登の政治手法は、強引さとはまったく無縁の辛抱に辛抱、周囲を説得に次ぐ説得で、ついには「落とす所に落とす」というものだった。「政界のおしん」「調整名人」との異名があったゆえんである。 それを実証してみせたのは、それまでの数代の政権が模索したものの、世論の反発から成...
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歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか?
「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。 竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖、佐藤栄作である。...
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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(2)退陣後に15年間議員の異例
 退陣を決意した中曽根は、後継に竹下登を指名した。安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)、宮沢喜一(のちに総理)も候補とされたが、3者の中で最も自民党内がまとまりやすいとの理由で竹下を選択したということであった。同時に、竹下が順調な政権運営を続ければ、「院政」までは望まなくも、自らの政治生命は安泰という“秤...
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歴代総理の胆力「中曽根康弘」(1)評価が分かれた大統領型リーダーシップ
 中曽根康弘政権は「戦後政治の総決算」を掲げた本格政権でもあったが、『構え』の大きさの割には実績評価は分かれている。とくに、5年にわたった政権に国民人気は高かったものの、退陣後の永田町とりわけ自民党内の評価は二分されていたものだった。...
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歴代総理の胆力「大平正芳」(4)「弱気でどうする」と角栄
 この「40日抗争」に一応のピリオドが打たれたあとの第2次内閣でも、「反主流」の3派はホコを収めず、それから約半年後の5月には社会党が提出した内閣不信任決議案の本会議採決で、福田、三木の両派が欠席(中曽根派は一応出席)、ために不信任決議案は243対187で可決してしまうといった異常事態が続いた。...
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歴代総理の胆力「大平正芳」(3)角栄は大平を「宗教家」と評した
「アイツは宗教家だから、ワシらが動くしかない」「盟友」大平正芳が初めて名乗りを挙げた昭和53(1978)年11月の自民党総裁選で、田中角栄は田中派を総動員させ、「大平勝利」に全力投球した。首相退陣後、ロッキード事件が発覚、「闇将軍」としてなお権力温存を窺う田中としては、ここで「盟友」の大平政権を誕生...
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