1.ベラルーシ大統領、健在=「搬送」主張の反政権派に批判(時事通信)
ベラルーシのルカシェンコ大統領は29日、首都ミンスクでロシアのナビウリナ中央銀行総裁と会談した。健康問題が取り沙汰されていたルカシェンコ氏について、反政権の一人が27日、具体的な根拠を示さず「モスクワの病院に緊急搬送された」と主張していたが、国営ベルタ通信や大統領府のSNSは元気そうな様子を伝えた...
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2.「やばいね。やっぱ、この国は」辛坊治郎 ベラルーシのルカシェンコ大統領、ロシアによる「毒殺説」浮上(ニッポン放送 NEWS ONLINE)
キャスターの辛坊治郎が5月29日、自身がパーソナリティを務めるニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。ロシアのプーチン大統領の「盟友」ともいえるベラルーシのルカシェンコ大統領を巡り、ロシアによる「毒殺説」が浮上していることについて、「やばいね。やっぱ、この国(ロシア)は」と指摘した...
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3.首都キーウに無人機による大規模な攻撃 ゼレンスキー大統領「ドローンによる最大級の攻撃」と非難(TBS NEWS DIG)
ウクライナでは28日、首都キーウを含む各地に無人機による大規模な攻撃があり、ゼレンスキー大統領は「ドローンによる最大級の攻撃」だと非難しています。ウクライナ軍によりますと、28日未明、ロシア軍による首都キーウへの大規模なドローン攻撃があり、40機を撃墜したと明らかにしました。...
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4.現代美術家、イリヤ・カバコフ氏死去 ウクライナ出身、妻との共同制作 去年も新潟で作品発表(TBS NEWS DIG)
現在のウクライナ出身の現代美術家で、妻との共同制作で国際的に評価されたイリヤ・カバコフ氏が27日、死去しました。89歳でした。イリヤ・カバコフ氏は旧ソ連時代の1933年、現在のウクライナ・ドニプロペトロフスク州生まれ。モスクワ芸術大で学んだ後、絵本画家として生計を立てつつ、政府の監視から逃れ、30年...
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5.ベラルーシ・ルカシェンコ大統領緊急搬送か “重篤な状態”野党指導者がSNS投稿 プーチン氏と会談後(TBS NEWS DIG)
ロシアの隣国ベラルーシの野党指導者は、ルカシェンコ大統領がモスクワでのプーチン大統領との会談後、病院に緊急搬送されたとSNSに投稿しました。これは、ベラルーシの野党指導者ツェプカロ氏が27日、SNSに投稿したもので、ルカシェンコ大統領がプーチン大統領と会談した後、「モスクワの病院に緊急搬送された」と...
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6.ベラルーシ大統領「搬送」と投稿=反政権派SNS、監視団体は否定(時事通信)
2020年のベラルーシ大統領選出馬を拒否され、国外脱出した反政権派の元外交官ツェプカロ氏は27日、SNSに「ルカシェンコ大統領がロシアのプーチン大統領と会談後、モスクワの病院に緊急搬送された」と投稿した。自ら「さらなる確認が必要な情報」と付記しており、真偽は不明。...
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7.旧ソ連の共同住宅を風刺したウクライナ出身の美術家、イリヤ・カバコフさん死去(読売新聞)
旧ソ連(現ウクライナ)生まれで米ニューヨーク在住の美術家、イリヤ・カバコフさんが27日、89歳で死去した。カバコフさんと妻エミリアさんの財団が同日公表した。 旧ソ連時代に絵本の挿絵を描く傍ら非公式の芸術活動を続け、1980年代半ばから西側の美術展で紹介されると、旧ソ連の共同住宅を風刺した作品などが...
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8.ワグネル創設者「革命起きかねない」、戒厳令と総動員求める…強硬派に手を焼くプーチン氏(読売新聞)
ロシアのプーチン大統領が、ウクライナ侵略を巡って、厳しい戦況をSNSで暴露して戦時態勢への即時移行を主張する強硬派勢力に手を焼いている。強硬派勢力は、露軍がウクライナ軍に敗北し、露国内が大混乱に陥るシナリオに踏み込んでおり、世論の反発や動揺は避けたいプーチン氏の基本方針と異なるためだ。...
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9.ウクライナ出身の美術家イリヤ・カバコフさん死去…89歳、世界的に活躍し日本でも制作(読売新聞)
ウクライナ生まれで米ニューヨーク在住の世界的な美術家、イリヤ・カバコフさんが27日死去した。89歳だった。カバコフさんと妻エミリアさんの財団が同日公表した。 旧ソ連時代、体制の弾圧を避けて自宅やアトリエでひそかに作品を発表する「非公式芸術」のリーダーとして活動。1980年代半ばから西側で作品が紹介...
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10.イリヤ・カバコフ氏死去=旧ソ連出身の現代芸術家、89歳(時事通信)
イリヤ・カバコフ氏(旧ソ連出身の現代芸術家)27日に死去、89歳。「イリヤ&エミリア・カバコフ財団」がフェイスブックで発表し「偉大な芸術家、哲学者だった」と惜しんだ。 1933年に現ウクライナ東部ドニプロ生まれ。モスクワで学び、挿絵画家の傍ら芸術活動を継続。ソ連末期から国外で妻エミリア氏と共同制作...
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