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(プレスリリース)戦術の妙で勝利を掴む『リーダーは「戦略」よりも「戦術」を鍛えなさい』本日発売
勝利のカギは『戦略』より『戦術』にあり<br /><br />ビジネス書や実用書を中心に出版する株式会社クロスメディア・パブリッシング(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:小早川幸一郎)は、2024年2月2日に書籍『リーダーは「戦略」よりも「戦術」を鍛えなさい』を刊行します。...
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『どうする家康』徳川四天王・井伊直政は関ケ原のどこで狙撃されたか?
2023年の大河ドラマ『どうする家康』が、ついに最終回を迎える。個性豊かな家臣団に支えられた徳川家康だったが、そのうちの一人、板垣李光人さんが演じた井伊直政。第43回「関ヶ原の戦い」でも描かれたが、島津勢の撤退時に負傷しており、2年後の1602年に亡くなった。歴史作家の桐野作人氏が、直政が負傷した関...
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『どうする家康』関ケ原の描写どうだった? 西軍武将の活躍、もう少し丁寧に描いてほしかった
番組サイトをキャプチャ視聴率が振るわない、脚本が微妙、などと言われながらも終盤に差し掛かってきたNHK総合の大河ドラマ『どうする家康』。11月12日放送の第43回のタイトルは「関ヶ原の戦い」ということで、関ケ原における東軍、西軍の激突が描かれる形となった。ご承知の方も多いように、この戦いは日没までに...
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10月21日は「関ヶ原の戦い」があった日!“天下分け目の戦”を岡田准一や役所広司ら豪華キャストで映画化した司馬遼太郎原作『関ヶ原』
©2017「関ヶ原」製作委員会■10月21日は「関ヶ原の戦い」の日!「天下分け目の地」でおなじみ〈関ヶ原の戦い〉が行われたのは安土桃山時代、慶長5年9月15日のこと。豊臣秀吉の死を発端として、徳川家康らによる東軍と、毛利輝元らを中心とする反徳川=西軍が、関ヶ原(現・岐阜県の関ケ原町)を含む...
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「関ヶ原の戦い」の真相 『どうする家康』ハンドブックで解説
 2023年9月5日、『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック どうする家康 徹底解説・関ヶ原の戦い編』(NHK出版)が発売された。『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック どうする家康 徹底解説・関ヶ原の戦い編』(NHK出版)??「家康対豊臣の戦い」ではなかった! 2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の...
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【どうする家康】徳川家の派閥争いも瀬名の殺害も「ぜんぶ信長のせい!?」
NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康の正室・築山殿こと瀬名が、壮大な夢を語り平和への道を模索していた様子が描かれていました。しかし、その計画が織田信長の知るところとなり、第25回「はるかに遠い夢」で瀬名と長男・信康は命を落とすことになりました。...
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「関ヶ原の合戦はなかった」戦国史に浮上した新説の「真相」とは?
 慶長五年(1600)九月一五日に天下分け目となった「関ヶ原の合戦」はなかったと——いえば、驚くだろうか。通説が次々に覆される戦国史の中でも新しい論点の一つだ。この問題を検証してみよう。 まずは通説に基づき、美濃大垣城に籠った石田三成が、籠城戦を苦手とする徳川家康をおびき寄せて叩き潰そうとしたあたり...
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織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、徳川家康が上司だった場合...部下はどう「説明」するといいか?【尾藤克之のオススメ】
経営不振に陥った名門・歴史ゲーム企業の命運を握る極秘プロジェクトーーそれは、触覚や嗅覚までもが再現されたメタバース空間で行う、関ヶ原の戦いだった。今回紹介する一冊は、歴史もゲームも詳しくない主人公・みやびが、その開発中の超絶リアルなゲームのテストプレイを任命され、史実ではあっさり敗れてしまった「西軍...
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関ケ原の戦いの原因に。秀吉の死を知らずに戦い続けた朝鮮遠征
■明の頑固さで交渉決裂となり再派兵へ大坂城には千畳敷という大広間がございました。伏見城が地震で大損害を受けましたので、明使を迎えるために恥ずかしくないように、大坂城の本丸の南の部分に、突貫工事で建てたものです。地震があったのは、文禄5年(1596年)年の閏7月。閲見があったのは9月のことです。...
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「能の稽古で忙しい」自分を主人公にした作品を残した秀吉
■秀頼のことが心配でしかたなかった秀吉「露と落ち 露と消えにし 我が身かな なにはのことは 夢のまた夢 」という美しい辞世の句を残して秀吉が亡くなったのは、慶長3年(1598年)の8月11日のことでした。辞世の句というのは、本当に死ぬ間際で詠むものでなく、あらかじめ用意しておくもので、この句も私の秘...
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