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領地の石高を過少申告!? 秀吉も頭を悩ませた島津四兄弟の処遇
■毛利輝元を自ら案内する手厚い「おもてなし」中国地方を支配する安芸の毛利輝元さまは、早くから秀吉と友好関係でございましたが、上洛されたのは九州遠征が終わってから、小田原攻めが始まるまでのことでした。懸案の足利義昭さまの帰洛も実現し、なんの支障もなくなったわけです。このときの様子を少し時間を遡りますが...
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家康は行きたくなかった江戸へ…天下統一をした秀吉の大名人事
■家康は「海から離れた所」に行きかった天正18年(1590年)の小田原征伐と、それに引き続いた東北地方の仕置きで、天下統一が出来上がったのですが、ここで、その時の大名方の配置がどうなっていたか、おさらいをしておきましょう。昤川家康さまに、関東への移封が伝えられたのは、小田原城が開城する前のことでした...
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籠城した北条氏も驚愕!? 東国仕置きは秀吉のやりたい放題
■天下を盗られる遠因となる秀吉の過信九州を平定し、毛利輝元さまも上洛されたのちに、秀吉にとって天下統一のために残されたのは、東国の仕置きでございました。といっても、秀吉はあまり東国には興味がなかったのです。この時代、新しいものは、畿内で生み出されておりましたし、明や南蛮の文物が入ってくるのは九州から...
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「奈良よりも大きなものを作れ!」秀吉が発注した幻の大仏
■聚楽第の跡地からは金箔の瓦も出てくる山崎の戦いののち、秀吉は京では本国寺に滞在するのが普通でした。足利義昭さまが上洛後にしばらく住んでおられた法華宗のお寺でございます。現在の西本願寺北側で、本願寺聞法会館になっているあたりにございましたが、昭和40年代にもめ事から財政難になり、山科に移転したのです...
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大坂のドンファン!? 秀吉の女遊びを見て見ぬ振りする寧々
■側室となった竜子は寧々も認める女性天下人となった秀吉が最初に置いた側室は、京極高次の姉妹である竜子です。母親は浅井長政さまの姉妹です。竜子は、それはもうたいへん美しい女性で、はじめ、若狭の武田元明さまと結婚いたしました。武田家のことは、浅井・朝倉との戦いのときにもお話ししたことがございますが、安国...
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【悲報】1人の宣教師の暴走で秀吉に禁止されたキリスト教
■一時期は北九州を制覇したキリシタン大名・大友宗麟天正14年の4月に、九州豊後の大友義鎮(おおともよししげ)さまが大坂城にやってこられました。この方はキリシタン大名で、宗麟(そうりん)という名で有名ですので、ここではそちらを使わせていただきます。...
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寧々と茶々、嫁バトルのきっかけは「黒百合」にあり?
■徳川家の首をつないだ大地震昤川家康さまが、秀吉の説得に応じて大坂城にお見えになったのは、天正14年10月26日のことでございました。すでにお話ししましたように、この背景としては、前年の天正13年11月に石川数正さまたちの豊臣方への寝返りということがあって、秀吉はいよいよ徳川の息の根を止めようと準備...
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ずっと見た目が変わらないと思う60代の女優ランキング
テレビや映画で活躍するベテラン女優には実際の年齢よりも若く見える人が多いですが、還暦を超えてなお見た目が昔と変わらない人となると、さすがに驚いてしまいますよね。そこで今回は、ずっと見た目が変わらないと思う60代の女優は誰なのかについてアンケートを行い、ランキングにしてみました。...
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「城」の次に欲しいモノ。秀吉とナポレオンの共通点は?
■寧々のホステスぶりが高評価秀吉が関白になって「殿下」などと呼ばれるようになったのは、天正13年(1585年)の7月のことでございました。私も従三位にしていただき、北政所という肩書きを戴きました。少しあとのことでございますが、その3年後、後陽成帝の聚楽第行幸ののちには、私のホステスぶりが良かったとお...
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秀吉念願の大坂城、天守閣の周りでは「街コン」ならぬ「城コン」開催?
■秀吉「大坂に安土より立派な城を作る!」清洲会議で、長浜城を柴田勝豊さまに譲ることになったので、私たちは京都と大坂のあいだにある山崎へ移って参りました。山崎の町は、今では京都府の大山崎町と、大阪府の島本市に分かれておりますが、昔は山城と摂津の国境にまたがって、ひとつの町になって油の座が営まれて栄えた...
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